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キロクのブログ

変わりゆく風景やものを単なる私的思い入れで記録中。意外とのんびりしてられない。

バクハツ空間:岡本太郎記念館(港区青山)

「太陽の塔」などのキョウレツな作品や、「芸術は爆発だ!」の台詞でお馴染みの岡本太郎さんのご自宅兼アトリエ。1997年(享年84歳)に亡くなった後、記念館として公開されている。

ここが芸術家の仕事場、太陽の塔の構想もここで練られたとか。

しおれかけたときに来ると何となく元気になる、そんな場所。「何だかわかんないけど、ここが好き」という人が私の周りには多いけど、訪れる人もリピーターが多そう。

外観はこんな感じ。
近代建築の巨匠:ル・コルビュジェのお弟子さんでもあった建築家・坂倉準三氏の設計。太郎さんとは友人だったそう。
で、太郎さんのお宅だったところなので、「土足禁止」ですww 

※夏は、うっかりミュールやサンダルで行くと素足でペタペタ歩くことに!靴下の準備をお忘れなく!(冬は冬でブーツの脱ぎ履きが気になるけれど)。

お庭もすごい。

視線を感じたような気がしてふと見上げると、バルコニーから作品がお出迎え。


私的に好きなキャラ。

 

リビング

書籍によると、太郎さんの言う「爆発」は、ドッカーンという爆破みたいな破壊的なものではなく、宇宙に向かってパーッと拡がる、開くみたいな感じらしい。

何か(常識とか?)を打ち破るエネルギーが必要で、太郎さんもご自身を追い込んだり、突き放したりしながら創作されていたのですね。分野を問わず、何かすごいことをしている人や優秀な人って、「自分にご褒美」とかヌルいこと言わずに作り続けてる気がする・・・。

ギラっとするものもあれば、じろっと見られる感じがするもの、
笑いが出るほどかわいらしいものまで、いろいろなのが居て、作品が住人になってる気がする。

 

これは「座るのを拒む椅子」シリーズのキャラだったと思う。座るために造られて、座るものとして認識している椅子。まさか拒んでくるとは思ってもみなかったし、そんな発想もなかった(笑)。
そうなのよね、私達が勝手に押し付けるかのように「そのために造ったのだから、そうあって然るべき」と思ってるだけなのよね、座れないからといって、この子達の存在意義がないわけじゃないのよね、と反省モード。

これって人と物との関係だけに限らず、人と人の関係でもそうじゃないかしら?と。

それにしても・・・確かに、これじゃ座れないww

近くに寄ると、ふと目が合ったりするので、「座りません、ってば(笑)」と心の中で声をかける。だけど、お年寄りとか足の不自由な人、疲れた人はもちろん、座らせてくれない?といったら快く受け入れてくれそうな気がする。
拒んではいるけど、決して狭量さからではないと思う。

企画展では「樹」がテーマだった。
(展示期間:2015年6月17日〜10月25日)

木を私はいつでも石の対立物として考えている。
ここに無機と有機、死と生の世界が、静かだが、しかし執拗な戦いをくりひろげている。
石は噛み、植物は生成しつつ石をくつがえしつづける。破壊と充実と、均衡と滅亡と、慰撫と恐怖と。

岡本太郎は『樹』に大いなる共感をもっていました。天にのびゆくその姿に生命力のダイナミズムを見ていたか らです。若々しくひろがっていくさまに人間のあるべき姿を重ね、人が天と交流する回路であるとも考えていました。
岡本作品に頻繁に樹が登場するのはそのためです。

単細胞からヒトまでが一本の樹に宿る《生命の樹》、いきいきと躍動する不思議な生命体《樹人》、こどもたちの多彩な表情が四方八方にのびていく《こどもの樹》、原始の呪力が生々しく投影された《樹霊》、無数の眼玉がたわわに実る《眼の樹》、生と死が対峙し闘う《石と樹》…。

 “いのち”を描きつづけた岡本太郎にとって、樹はなくてはならない重要なモチーフでした。この展覧会では太郎がくりかえし描いたさまざまな『樹』を見ていきます。
(岡本太郎記念館HPより)

 

今にも動きそうで怖いww

樹は、昔から日本人にとっても特別な存在だったように思う。今の日本ではなかなか感じ取ることができないけれど、何故か台湾の山奥で、樹を大切にしてきた昔の日本人の姿勢を垣間見たことがある。

 

akaritokyo.hatenablog.com

 
小さい記念館とはいえ、1つ1つの作品を丁寧に観るのは時間も体力も要るなと実感です。だけど、ここを出た後の爽快感に似た感じは何だろう。


太郎さんの記念館について、詳しくはこちら。

【HP】岡本太郎記念館


不思議なキャラ達に会ってみてください。