キロクのブログ

変わりゆく風景やものを単なる私的思い入れで記録中。意外とのんびりしてられない。

タイムトラベル(2):たぶん、品川区/1946(昭和21)年

終戦後まもない昭和21年の第二京浜の風景を撮影した写真。
こんなに遠くまで見渡せるほど焼かれたんだなあ・・。

だいぶ焼け跡整理が進んできれいになってきたところという感じ。戦争で働き盛りの若い男性達が極端に少なくなってしまった当時の日本では、こうした過酷な作業に中学生達も動員され、「奉仕」としてやっていたという。


第二京浜(品川区)/撮影:中村立行氏

今の中学生と比べるとずっと体も小さく、ひどい食糧難の時代、本当に厳しい日々だったに違いない。まともにゴハンも食べられず、学校も行けず、怖ろしい目に遭って、家族や友達が亡くなったり消息がわからなかったり、大きな悲しみを抱えながら瓦礫や焼けトタンを黙々と片づけた中学生たちは、今80代のおじいちゃん。
自分たちが中学生のとき何してた?と思うと・・・。

ちなみに、第二京浜は国道一号線のうち、西五反田~横浜の青木橋ぐらいまでの区間のこと。この場所がその区間内のどこなのか??

これじゃあわからない!!

もしかして戸越~中延あたり???と、好き勝手に想像中。
区画整理もなく地形が今と同じならばという前提だけど、五反田に近くなると傾斜やカーブが出てくるのでそこまで行かないエリアかな、と。

どこを見ても当てはまる気がするし、どこを見ても当てはまらない気が・・。

戦前の品川は農村地帯で整備が遅れていたそう。
戦争が始まり工業化が進むと自動車が輸送手段として多く使われるように。未舗装で狭い道が多い品川では混乱も起こり、事故も多発してたとか。

一方で、戦中になっても依然、馬車や牛車は活躍中、街に馬車屋さんや蹄鉄屋さんもあったという。車も馬も牛も大八車も自転車も居たんじゃ、確かに道路は混乱しただろう。

ちなみに、道に転がってる馬糞を片づけたのは勤労奉仕の子供達だったとか。子供も立派な働き手だったのだ。私が子供の頃、掃除当番で校庭の掃除をしているときに犬の糞を見かけただけで、男の子たちは「うんこ、うんこ」と大騒ぎ(笑)。うんこぐらいで騒げるのも平和だよね。

風景だけでなく色んなことが変わった日本、これからはどう変わていくんだろう?