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キロクのブログ

変わりゆく風景やものを単なる私的思い入れで記録中。意外とのんびりしてられない。

第五福竜丸展示館(東京都江東区)

アメリカ軍の水素爆弾実験による多量の放射性降下物(死の灰)を浴びたマグロ漁船「第五福竜丸」。その展示館に行ってきました。小さいけれど、内容は濃く、とてもわかりやすい展示です。
船がカメラに収まりきらず。船としては小さい方なんだけど、こうして見ると大きいなあ。

被爆国であり、原発の問題を抱えている国の国民でありながら、核や放射能被爆についてちゃんと知っているか、これまで真剣に関心を寄せてきたかというと、恥ずかしながら「NO」。
原爆のイメージ、広島や長崎のことを思い浮かべるものの、それは熱線や爆風、外部被爆、急性期症状などのわかりやすいごく一面のこととか、かなり偏っています。偏ってるそれでさえ、ちゃんと理解できているかというと、やっぱり「NO」。反省と自戒を込めて記事にしました。

 まずは、館内にあった展示のキャプションから。

 

◆第五福竜丸の被災:Daigo Fukuryu Maru Suffers

1954年(昭和29年)3月1日午前6時45分(現地時間、日本時間で午前3時45分)、マグロ漁船第五福竜丸の乗組員は、西の空が突然明るくなり、火のかたまりを見ました。数分後、大きな爆発音がとどろきました。3~4時間経つと白い灰が雪のように降り注ぎ、甲板に足跡がつくぐらい降り積もりました。

 

On March 1st 1954 at 6:45a.m.(local time, 3:45a.m. Japanese standard time)fishermen on the Daigo Fukuryu Maru(abbr. Fukuryu), a Japanese tuna fishing boat saw a sudden light then huge fireball in the west sky. In several minutes an explosion sounded.Three to four hours later, white ashes fell like snow accumulated on the deck enough leave footprints there.

 そのときの灰が採取され、展示されていました。真っ白できれいなんです。これが降ってきたら、つい見上げてしまいそうです。

もし今、同じように火のかたまりを見て爆音を聞いた後であっても、このきれいな真っ白な灰が降ってきたとして、それが死の灰であると私達は咄嗟に判断できるか、否認せずに対応できるかというと、難しいと思うのです。

その場所は、マーシャル諸島ビキニ環礁から東に160㎞離れたところでした。乗組員が見た火のかたまりは、アメリカがビキニ環礁で行った世界で最初の実用可能な水爆「ブラボー」の実験でした。
当時、アメリカはビキニ環礁とエニウエトク環礁で核実験をしていました。しかし、第五福竜丸が操業していたところは、自由に通行・操業できる公海上で、アメリカが定めた危険区域の外側(東30㎞)でした。

 

The place of Fukuryu was 160km east to Bikini atoll in the Marshall Islands. The fireball, which the fishermen saw, was a test explosion of the first practical hydorogen bomb carried out by US and called "Bravo". At that time US was implementing a series of nuclear explosion tests at Bikini and Eniwetok atolls. The site where Fukuryu was fishing was an open sea where any ship should be allowed to operate and navigate, and in fact outward from(30㎞ east to)the eastern boundary of the dangerous region desiginated by US beforehand.

 

想定した範囲を大きく超えて危険が及ぶ、これはチェルノブイリや福島原発の事故でも同じでした。

初めての実験ではないのだし、放射線が広がることくらいはわかっていたのではないかと思うのだけど。

「いつどこで実験する」って事前に知らせてくれるわけでもないし、知らされても避難できるわけでもないので、やっぱりやめた方が・・・。

 

第五福竜丸に降り注いだ白い灰は、放射能を大量に含んだ珊瑚礁の細かいチリでした。「死の灰」と呼ばれています。
「死の灰」は、23人の乗組員の顔、手、足、髪の毛やお腹に付着しました。鼻や体内に吸い込まれました。これが付いたところは、火傷の状態になりました。みんな頭痛、吐き気、目の痛みを感じ、歯茎から出血しました。髪の毛を引っ張ると根元から抜けました。全員が急性放射能症になったのです。

 

The ashes that poured down on Fukuryu were strongly radioactive dust particles made of coral reef and christened "Death Ash".
Death ashes stuck face, hands, feet, hair and abdomen of 23 crewmen and were also taken in their bodies through nose and mouth. Naked skin become burned due to the ashes. And headache, nausea, pain in eyes, bleeding in gums and falling of bunch of hairs by just pulling appeared to all crewmen as symptom acute radiation disease.

ものすごい恐怖だったと思います。

陸から遠く離れた海の上。ここでは大きく見える船も海上では小さな存在。あれはヒロシマの「ピカ」と同じ気がする・・、病院に行くこともできず、自分よりひどい症状に苦しむ仲間に何もしてあげることができません。

 

1959年(昭和34年 )公開の映画「第五福竜丸(監督:新藤兼人、主演:宇野重吉、音羽信子)」ではこんなやりとりが描かれています。

「(降り注ぐ灰をかぶりながら)何だ、雪か?」
「こんな南洋に雪なんか降らねえよ」

それより仕事、仕事と作業に戻るのですが、みんな実は思っていたようでした。ヒロシマと同じものだと。帰港して待っていた親方に皆が見せたのはやけに黒い顔。灰をかぶったらそうなったという。「え?ピカドンを見た?」と驚き、何故すぐに無線で知らせなかったんだ?と聞く親方に、「アメリカの軍艦にでもキャッチされたら大変だからね。」と淡々と答える乗組員。助けを求めることもできなかったことが伺えます。

未だに馴れないシーベルトという単位と数値。
福島第一原発の事故があったとき、「自然界にも放射線があって、誰でも浴びています。○○という仕事をしている私達は、普通の人より多く浴びているけど何ともありません。だから怖がらないでください」みたいな(感傷的)ツイートもありましたっけ。

恐らくあの時の知識とあの状況の中で、善意から発せられたものだとは思いつつ、数値的にもケタが違うし、自然界にある放射線と、原水爆や事故で発生した放射線って同じなのか、同じに考えていいのだろうかと疑問を持った人も多かったと思います。その疑問は正しかった。

 

それにしても日本は被爆ばかり・・って本当に思うけど、マーシャル諸島の人達や、実験に関わった兵士達、他にも被爆している人は大勢いて。核実験や兵器の開発、原発が増えれば増えるほど、被爆する人はどんどん増えてしまう。

砂漠にしろ海にしろこれほど美しい場所に大きな穴あけて、放射能まき散らして、破壊するのはやっぱりどうかと・・・。片づけたり元に戻せしたり、できないのだから。

廃棄物処理や万が一のときの対応なども含めて、人類が核をきちんと扱えるようになるなら。もしくはその逆に、どれだけ危険なものなのかを少しでも理解できたから、もうこれ以上頑張って扱おうとするのではなく、撤退するという決断ができたとしたら?
どちらも「進歩」じゃないかと思うけど、どうなんでしょうか。

 

◆原爆マグロと放射能の雨:
”Atomic Tuna” and Radioactive Rain

被害者は福竜丸だけではありませんでした。12月までに日本の船舶856隻が被害を受けました(政府発表分)。水揚げされたマグロは「原爆マグロ」と言われ、485トンが捨てられました。
全国の漁業関係者、魚屋さん、寿司屋さんなどは、商売にならずに、怒りの声を上げました。また5月頃から強い放射能を含んだ雨が降るようになり、日本中で不安が広がりました。9月になるとソ連の核実験による北からの放射能雨も降り始めました。野菜も果物も井戸水のこの雨に汚染されました。

 

The damege was not restricted to Fukuryu, According to the governments 856 Japanese fishing boats in all suffered from the Bikini explosion as of the end of 1954. Unloaded tunas for these months were named "Atomic Tuna" and 485 tons were discarded.
Fishing industry, fish dealers and sushi bars were nationwide put out of business and a strong voice of anger arose from them.
Radio actives, rainfall, which begin in November, 1954 ,increaced and spread fear and ineasiness among Japanese people. Further another radioactive rain due to Soviet Union's nuclear explosion test added. The rains contaminaited vegetables and even well waters.

 ・・・それで、原爆マグロ塚があったんだと納得。
そして、食物連鎖によってそのマグロを食べた他の魚も被爆したというから、もう広がる一方。

第五福竜丸の報道の2日後には、神奈川県三崎町(現:三浦市)を皮切りに、原水爆実験禁止・原水爆兵器禁止の運動が広がり、市議会だけでなく、国会でも決議されたそうです。

反原発や核廃絶の運動は311の震災から始まったのではなく、これまでも「禁止」「廃絶」の運動はありました。今から50年以上も前からこうして署名も集められ、活動の火は消えないけれど、原発は増える、核実験も増えてしまっていますね。
どうするつもりなんですかねぇ??

 

無線長だった久保山愛吉さん(享年40歳)が、実験の日からおよそ半年後の9月23日、

「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」

という言葉を最期に亡くなったそうです。

第五福竜丸だけでなく、多くの漁船が被害に遭いました。
また、あの辺りに住んでいた人達も被爆した上に移住を余儀なくされました。実験に関わった兵士なども含めると、これまでで一体どれだけの人が犠牲になったのか。


以下、第五福竜丸の元乗組員、大石又七さんの講演。

どんなことにせよ、人は被害で傷つき苦しむだけでなく、副次的な被害でさらに傷つけられていきます。もちろん本人だけじゃない。ご家族をはじめ多くの人達が苦しむことになります。
そして誰も、自分は絶対にそういう立場にならないと断言できない。今はそれとわかる症状はないけれど、何年後か何十年後かに出てくるかもしれない、自分にも気づかないようにひっそりと、誰からも何も知らされないまま、もしかしたら少しずつ「発症する日」に向かっているしれないからです。大丈夫と言える根拠は、脆い。
日常の忙しさで覆いきれない不安というか、ふと、そう感じる事があります。

そのとき、何を思うのかな。

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