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キロクのブログ

変わりゆく風景やものを単なる私的思い入れで記録中。意外とのんびりしてられない。

[台湾]日本統治時代の建築(2):糯米橋(南投縣・國姓鄉)

日本統治時代の建築を見ては複雑な気持ちになることがある。
当時の日本人のご苦労に思いを巡らせつつも、台湾の人々にとっては「負の遺産」ではないのかとか、再開発する方が楽なんじゃないかとか。日本では古いものを次々壊して新しいビルや高層マンションを建てているのに、よその国に残る自分の国の古い建築物を観て喜んでるっていうのは何だかなあと。

訪れてみると台湾の人達の暮らしの中にごく普通に存在し、みんなが大切に使ったり、残そうとしているという現実に出会うことができた。南投縣國姓鄉北港村という山奥、日本統治時代はこのあたりに20の村があったことから「二十粒」と呼ばれていたそう。そこにこんな橋が。

 日本だったら、間違いなく壊している・・と思うような橋。

長さ:約53m、幅:約5m、高さ:約20mのアーチが美しい温かみのあるデザイン。橋の名前は「糯米橋(もちごめばし)」。
1940年に作られたものでした。

こんな記事をエントリすると「そんな山奥で一体何をしていたのか?」と聞かれそうですが、それは「私への質問」?それとも「当時の日本人への質問」?

後者と捉えるなら、統治を行うためには山にも入らなければならず、山に入るのなら物資の運搬や人の出入りができるようにしなくてはならない、ということで。この橋は、サトウキビを砂糖工場へ運ぶためによく使われていたそう。

当時、橋を作るときに必要なセメントは希少で高価だったため、糯米に黒砂糖や石灰などを混ぜて代わりにしていたとか。1940年に造られて以来、幾度も台風や豪雨や濁流を受けながら残っているってすごい。石灰も入ってるとはいえ、糯米ってそんなにすごい強度が出るんですね。

だから日本製の方がいいんだ!!
(`Д´)ノ(`Д´)ノ(`Д´)ノ(`Д´)ノ(`Д´)ノ


と、日本の統治下の教育を受けた「ニッポン贔屓」のおじいさん達の声が聞こえてきそうな・・。