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キロクのブログ

変わりゆく風景やものを単なる私的思い入れで記録中。意外とのんびりしてられない。

[映画・本]父と暮せば

昔、岩波ホールに観に行った映画「父と暮せば(2004年公開)」。
戦後70年特別企画と文庫でもう一回。戦争レクイエム4部作+α。

風化していく戦争の記憶、原発事故と再稼働への動きなどもあるので、戦争や核について描かれたものとして、再度観ておきたい作品でした。また、父を看取ってまだ1年も経ってない私にとっては、ここに描かれた父の幽霊と生き残った娘のやりとりは、グリーフケアにもなりました。

以降、ネタバレ注意です(笑)。

 

【ストーリー】
原爆投下から3年が経った広島。父や親友を亡くし、
「あん時の広島は死ぬるんが自然、生き残るんが不自然なことやったんじゃ」
「生きてるのが申し訳のうてならん」
と、生きてることへの後ろめたさを持ち続ける娘は、幸せになることを拒んで暮らしていた。そこへ、原爆で死んだ父の幽霊が現れる。「恋の応援団長」と称する父の幽霊と心の交流をしながら、娘は未来に目を向けていく。

ある1シーン。

「おとったん、やっぱ居(お)ってですかあ」

と、驚きつつも安心し、声をかける娘。

「そりゃあ居るわい。お前が居りんさい言うたら、
 どこじゃろといつじゃろとわしは居るんじゃけぇのう。
 居らんでどうするんじゃ」

と、まずは娘を安心させる父親の幽霊。
(娘はあの原爆の日以来、雷にも脅えるようになっていた。)


死んだらどうなるのかとか、霊が居るとか居ないとかわからないけれど、傍にいるのかもしれないなあと、父亡き後の寂しさや分離感がちょっと癒される感じがしました。


それにしても、ほんと、罪悪感は人を幸せから遠ざけるもんだと思いながら観てました。しかもその罪悪感は、自分も被害者なのに

「自分だけ生き残ってしまって、助けられなくて申し訳ない」

というところから来ているので、聞いている方もとてもつらい。多くの戦争体験者が同じように仰いますよね。

 

原爆投下の瞬間についても描写されており、幽霊となった父・武造(原田芳雄)は、原爆投下の瞬間をこう回想しています。

爆発から1秒あとの火の玉の温度は摂氏1万2千度じゃ。
あの太陽の表面温度が6,000度じゃけえ、
あのとき、ヒロシマの上空580メートルのところに、
太陽がペカーッ、ペカーッ、2つ浮いとったわけじゃ。
頭のすぐ上に太陽が2つ、1秒から2秒並んで出よったけえ、
地面の上のものは人間も虫も魚も建物も石灯篭も、
一瞬のうちに溶けてしもうた。
屋根の瓦も溶けてしもうた。
しかもそこへ爆風が来よった。秒速350メートル。
溶けた瓦はその爆風に吹き付けられて、
いせえいに毛羽立って、そのあと冷えたけえ、
こげえ霜柱のようなトゲがギザギザギザとたちよった。

 
原爆や核というものの恐ろしさ、現実に起こってしまったことの重さ、残酷さ、体験した人の心の中に渦巻き続ける感情、その後の人生。いかにも・・な設定ではなく、父と娘のおだやかな日常を舞台にしているというシンプルさが、様々なもの浮き彫りにし、こころに響きます。

原作・井上ひさしさんは、前口上として、

あの2個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりでなく、人間の存在全体に落とされたものだと考えるからである。

と、書いています。

また、黒木監督の切なる願い。

世界で初めて原爆が広島と長崎に落とされました。
それは広島で14万人、長崎で7万人の命を一瞬にして奪い、
その後も30万人の被爆者を後遺症で苦しめています。
今、地球上にある核爆弾は、
1人あたり10トンを抱える計算になるそうです。

(中略)この映画に少しでも共感してもらえるところがあって
将来的に100グラムでも200グラムでも核爆弾を減らすことに役立つとしたら、この映画を作った甲斐があると思うのです。

(引用:http://www.toho-shoten.co.jp/beijing/bj200410.html

 

この映画のメッセージは、アメリカや中国をはじめ、世界の様々な国に発信されました。

 

『こよな別れが二度とあっちゃいけん、あんまりむごすぎるけえのう』