読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

キロクのブログ

変わりゆく風景やものを単なる私的思い入れで記録中。意外とのんびりしてられない。

[マカオ]夜の景色 (1) 街並み:福隆新街→ポンテ16付近まで

ここは昔の歓楽街、福隆新街。
日本でいう「花街」。セナド広場の前を通るアルメイダ・リベイロ通りから少し入ったところなのに、旅館、娼館、博打場、飲食店、阿片窟があったそう。

現在は娼館は廃止され、賭博場も他の地域に移ったため、女性2人でもあまり気にせず歩ける雰囲気でしたが、廃れた感じが何とも言えず。
ここには第二次世界大戦が終わるまで、からゆきさんが居て、白粉に着物姿で三味線を奏で、歌を歌う姿が見られたとか。

 からゆきさんと言ってもピンと来ない人、「ジャパゆきさん」なら知ってるという人、それすら知らないという人、今の日本、いろいろです。

からゆきさんとは、19世紀後半に、東アジア・東南アジアに渡って(売られ)た日本人女性で、殆どが娼婦として働いた。長崎県島原半島や、熊本県天草諸島出身の貧困層の女性が多く、何と、斡旋業者(女衒)が介在していたそう。

マカオじゃないけど、からゆきさんがどんな時代をどう生きたのか、このページとか参考になると思います。

是非お読み頂きたい他人様のHPです。

 

せっかくなので、日本とマカオの歴史を駆け足で振り返ってみます。

日本とポルトガルとの出会いは1543年、種子島での鉄砲伝来が最初とされている。当時、貿易上の決済手段であった銀が日本で産出されることに気づいたポルトガルは、対日交易を開始。(スペインはメキシコやペルーで既に銀を使い、交易で成功していた)。

また、発足に遅れを取っていたイエズス会が、1540年にローマ教皇から正式に認可されると、マカオを拠点に東アジアでの布教を積極的に展開していく。

奴隷貿易もされていたらしいですね。つまり、ポルトガル人が日本人を奴隷として売っていたとか。

豊臣秀吉が1586年に「バテレン追放令」で、布教にブレーキをかけてから、その勢いは高まり、徳川幕府はまず直轄領での禁教令を布告し、宣教師や代表的なキリシタンを国外追放。 1673年に起きた島原の乱で、日本におけるキリスト教は、この乱の鎮圧を機に事実上根こそぎ破壊。日本とポルトガルとの対立は貿易にまで及んだ。

こういうのに影響を受けて、マカオも浮いたり沈んだり。
1941年以降の4年間、低迷していたマカオが再び潤う時が!第二次世界大戦で、香港が日本軍に占領されたのを機に、それまで香港がしていた役割がマカオに移り、対岸の火事による経済効果で栄えます。
今もマカオでは香港ドルが使えますが、戦時中も使えたそうです(香港では、1942年には香港ドルの使用を全面的に禁止されて、日本軍票に切り替わったのに)。

当時のポルトガルは、第二次世界大戦に関しては中立国の立場にあったため、日本軍もマカオには手を出さなかったとされているが、同じくポルトガル領有地であるティモール島は軍事占領。手を出さなかったのは、マカオを軸に物流ルートが築かれていて、金融、物資などがからむ”銃後の駆け引き”が展開されていたから。繁栄と避難により、マカオの人口は、それ以前の40万人から50万人に膨れ上がり、食糧難、物資の不足が深刻化、住民の生活に打撃を与えていた。

ちょっと調べただけで、マカオの歴史的混乱ぶりが伺えます。
中立国でもいろいろあると思うけど、中立してても、空襲がなくても、どこでも食べ物の確保は大変だったんだなあ(日本の空襲体験者さんは「食べ物がないのが何よりつらい」と口々に仰います。)


さて、話を戻して街並みへ。
アルメイダ・リベイロ通りもポンテ16の近くにいくと、古いビルが廃墟のような状態のまま残っています。お金がなくて建て替えられない、残っちゃってる・・・というのが本当のところかもしれません。

かつてはデパートだったと聞きました。

リニューアルした(といっても壁を塗りかえただけ?)ビルの真横はボロボロの老朽化したビルだったりして。街づくりとか、都市計画とかあまり気にしてないのかな(笑)。

 

ポンテ16
香港からのフェリーが往来し、栄えていた場所(今、フェリー乗り場は別の場所)。寂れちゃっていますが、レトロな感じがよいでしょ。

かつては夜でも賑わっていたそうですが、静かな海でした。

この横は再開発されて、「ソフィテル・マカオ・アット・ポンテ16」という煌びやかなホテル&カジノが建ってます。


何度もしつこいけど、ボロボロの横に煌びやか、ボロボロの横に鮮やかなパステルカラー、そして華洋折衷過ぎるのが、マカオです!!

 

 ******

道路を渡って奥に入ったら。
築何年だか見当もつかない住宅街に来ました。

向こうに煌びやかに光る高いビルは「グランド・リスボア(カジノ)」です。対比がすごいでしょ。

 

歩いていると、いきなりランニングシャツ+ステテコ姿のおじさんがフラっと出てきたりするんですよ(笑)。これが欧米だったら、変態が出た!!と思って絶対に逃げるところなんですけど、同じアジア人だからか普通に見過ごせたりするんですよね。

単にそこに「昭和」を見たからなのかもしれませんが。
(マカオで見つけた”懐かしい昭和”って、ステテコ姿のオッサンかよ?っていうのは置いといて・・)